メイリード・コリガンとベティー・ウィリアムズ

 北アイルランドのピースピープル運動で1976年ノーベル平和賞を受賞。メイリードは秘書、ベティーは主婦で母親。この平和運動は世界の人々に平和への希望を抱かせた。
 2人は、北アイルランドの宗教、政治グループ間にあったいくつもの深刻な分裂に橋をかけようと試みた真の調停者。何世代にもわたる憎しみを解消し癒す道を見出す努力をした功績は大きい。
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ハロルド・エイブラハムズ

 イギリスの陸上選手。死の4年後の1982年、映画賞受賞の『炎のランナー』でその生涯がドラマ化される。
 エイブラハムズはただ勝つことをめざした。走ることが楽しいから競技に参加したのではなく、人生で一番大切なことだから走ったのでもなかった。勝利者になることが目的だった。初めて勝利者の栄冠を手にしたのは、1924年のパリオリンピック。100m競争で金メダルを獲得した。
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マリハシ・マヘシュ・ヨギ

 1952年、師の死亡後、インドヒンズー教の超越瞑想法を受け継ぐ。のちロサンゼルスに移り、精神復興運動を創始。若々しい心を持ち、茶目っ気とやさしさのある人柄と言われ、「あるがままの自分をエンジョイせよ」と説く。
 信者にはビートルズ他の有名人が多くいるが、富める者も貧しい者も、苦しみから解放され、自己の潜在力を自覚するために瞑想せよと説いている。
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T・E・ロレンス

 アラビアのロレンスとして知られる。第一次世界大戦勃発時に、アラブの指導者ファイサル付きの情報官としてカイロに派遣され、対トルコ軍との作戦で彼を助ける。アラブ軍の指揮にはアラブ人と同レベルの生活をし、なおかつ彼らより優れていることを印象付けることが重要だと知る。
 作戦の実行にあたって操作的な力を発揮し、アラブ軍を勝利に導く。のち、新たに独立したアラブ国家に対し、連合軍が約束を守らなかった為失望した。
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かもめのジョナサン

 リチャード・バックの小説に登場する主人公のカモメ。かもめのジョナサンは、他のカモメたちより優れた専門技術を駆使して飛び方を身に付けようとする。
 じきに速く飛べるスペシャリストになり、流線型の高速ダイブをするが、スペシャリストになればなる程仲間から背を向けられる。
 おそらく、のけ者となったために、ただのスペシャリストというだけでなく、他のカモメとは違う「特別」な存在になったという自覚を持つに到る。
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聖ジャンヌ・ダルク

 フランスの小村の百姓の娘。イギリスの侵略から祖国を救うように神のお告げを受ける。
 1429年、フランス皇太子の命により、オレルアンでフランス軍を率いイギリス軍と対戦、フランス軍を奮い立たせ勝利に導く。
 1430年、宗教裁判で魔女であるとの理由から、19才で火あぶりの刑に処せられたが、500年後の1920年、聖人の列に加えられた。
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ブラハム・ヤング

 モルモン教会創立者ジョセフ・スミスが1844年に殺された後、ブラハム・ヤングが指揮を引き継いだ。今後のモルモン教会にとって永続の場所を探し安住の地を築く事が必要であると、彼は固く信じた。
 イノリイからユタのソルトレイクの荒野を3年かけて開拓し、その後ユタに着く教徒達を受け入れる建物や用水計画などを予め準備した。
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アレクサンダー・ギュスタヴ・エッフェル

 1889年フランス革命記念博覧会のシンボルの制作を任されたエッフェルは、まったく新しいデザインの鉄塔を完成させ、その300mの高さはローマのサン・ピエトロ寺院の2倍と大評判になった。
 エッフェル塔は、主に橋の建設で斬新な都市景観を作った彼の、全盛期の作品といえる。「鉄の手品師」というニックネームはぴったりである。
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クリストファー・コロンブス

 中でもとりわけコロンブスの発見は奇跡的なものだ。1942年、中国とインドを目指し西へと大西洋を渡った彼は、西インド諸島と南北アメリカ航路を発見した。彼自身はこれに気付かず47才にして貧困のうちに亡くなるが、その後何世紀も、この発見は人々に利益をもたらした。
 ほかの発見者と同様、自分の業績に誇りを持っていたが、当時は無名の勇者だった。
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アン・マンスフィールド・サリヴァン

 サリヴァン女史の名はあまり知られていない。彼女は1887年、幼いころの病気が原因で、目、耳、口に障害を負ったヘレン・ケラーが7才になった時、養育者として迎えられたアメリカ人教師だ。
 ヘレンはサリヴァン女史の教えを十分に受けて人と心を通わせることを覚え、ひとりの自立した人間として成長し、その後もサリヴァン女史に助けられながら、自分と同様に障害を持つ人々の教育に一生を捧げた。
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