カルースト・S・ガルベンキアン

 「ミスター5パーセント」と呼ばれた、この石油の大立者は自分で開発に貢献した中東の油田の配当で財を成したのです。
 トルコのイスタンブール近くで生まれ1900年にオットーマン大使館の経済カウンセラーとしてロンドンに渡りました。
 1914年には既にトルコ石油設立にかかわり、アングロペルシア、オランダとドイツの利息コントロールを崩壊させる交渉に成功して、個人的には生涯、5%の配当を得たのです。
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エドソン・A・ド・ナシメント

 ペレ、と言う方がなじみが深いこのプロ・サッカー選手は、1958、62、そして90年の3回、ブラジルチームをワールドカップの優勝に導いたのです。
 彼の時代では、彼はおそらく最も有名で、最も多額の報酬を得た選手でしょう。正確で、パワフルで、そして動きを予想する才能があったからなのです。1969年、一流試合90試合目で、1000回目のゴールを記録したペレの名は火山の名であり、またハワイの火の女神の名でもあるのです。
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ナポレオン・ボナパルト

 コルシカ生まれ。1815年までフランス皇帝として強固に自己を主張し、臣下に恐れられた。優れた軍人であり強い精神力を持った規律の人。ヨーロッパ統一を強く信奉した。
 エルバ島からの帰還後もフランス国民の支持を受けた。ワーテルローの戦いで敗れ、セントヘレナに流されたが、そこでも鉄のように堅固な自己主張力を発揮し、自分を捕えた者達を支配したと言われる。
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デイリー・トンプソン

 イギリスの陸上選手。体が持っている力の全てを動員して、世界一の十種競技選手となる。
 1976年、18歳でオリンピック選手に選ばれたのを最初に、1980年、1984年に十種競技の金メダリストとなり、十種目のすべてに驚異的な力と持久力を発揮して、8.797を得点。西ドイツのユルゲン・ヒングセンの世界記録に1点差まで近づいた。
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アルバート・アインシュタイン

 ユダヤ人で、楽天的、心優しいボヘミアンの彼は、カトリックの学校に通い、チューリッヒで物理学を勉強。推理力を使って、20年以上を相対性理論の構築に費やした。
 有名なE=mc2の方程式は、物理学、原子力、宇宙旅行の発達に影響を与えた。今世紀最大の科学者の仕事は考える事であり、ある時、彼は「こうやって実験してるんだよ」と友人にすっかり噛み潰した鉛筆を見せたと言う。
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ケリ・ハルム

 ニュージーランド西海岸のオカリト出身。強烈な人間感情を独特の言語表現により、神話や物語として表現した人は歴史上非常に少ないが、ハルムは12年の歳月をかけて、最初の小説『ザ・ボーン・ピープル』で見事にこの偉業を成し遂げ、1985年ブカ・マッコネール賞を受賞した。
 小説は女と男、自閉症児を題材にし、「読者は人生の本当の姿を新ためて発見するだろう」と、ある書評家は評している。
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ルパート・マードック

 オーストラリアの新聞経営者。1954年経営不振なアデレード・ニュース社を父親から引き継いで以来、多くの雑誌、新聞、テレビ局を成功に導く。
 犯罪、スポーツ、セックスを派手な見出しで取り上げると同時に、猛烈な販促活動やコスト削減政策、妥協のない計算された冒険的戦略でオーストラリア、イギリス、アメリカにまたがる出版王国を築き上げた。
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ヘンリー・キッシンジャー

 政治学者、顧問、元アメリカ合衆国国務長官。1969〜76年までアメリカ合衆国の外交政策に影響力を持った。米ソ間の戦略核兵器制限交渉(SALT)のイニシアティブをとり、米国とパキスタン、旧ソ連、中国との協定締結に影響力を振るった。
 1973年、ベトナム戦争終結協定交渉の功績に対し、北ベトナム代表レドクト氏と共にノーベル平和賞を受賞。
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マーガレット・サッチャー

 化学者、法律家、強い信念を持った政治家。1959年、英国議会議員選挙に初当選。後に教育科学大臣。
 1975年、圧倒的多数で英国政党初の女性党首となる。
 英国議会選挙で保守党に2回の勝利をもたらし、首相としての断固とした政治姿勢は「鉄の女」の異名をとった。
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ジャンヌ・アントワネット・プワソン

 ポンパドール夫人として知られる。1744年、ルイ15世に初めて会い、翌年ベルサイユ宮殿に迎えられる。
 ルイ15世の愛人として性的な力を発揮し富や地位、政治的影響力など欲しいものを手中に収めた。
 その後の19年間、彼女の政策がルイ15世の政策となったが、必ずしもフランスのためにはならず、オーストリアとの同盟に固執したため、フランスを悲惨な17年戦争へと突入させた。
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